今回は体験・経験してみることの重要性について少し触れます。
私たちは、いろいろなものを見て、感じて、それで知っている気になっていることに気づいていますか?
そうなんです、知っている気になっているんですよ、実は。
本当はなにもわかっていないのに……。
人は、見たいものを見て、知りたいことを知る、それ以外の興味にないことは自動的に認識しないように脳が動いています。そのように処理しているんですね。
これはどういうことかというと、わかっているようでわかっていないことがとても多い、ということです。
では、どうしたらよいか、について考えてみたいと思います。

たとえば、桜の木を思い浮かべてみてください。
あなたの頭の中には、ピンク色とか白い花だとか、なんとなく思い浮かびますよね。それがあたなにとっての桜、です。
春にお花見をしたことのある方も多いと思います。
でも、その桜がなんという桜で、どんな花を咲かせているのか。
触ったことはありますか?
においをかいだことはありますか?
桜の花びらの色や形、感触、匂いなどを思い浮かべることができますか?
おそらくほとんどの人が目の前の食事やお酒、友達などとの会話に夢中で、実際の桜がどのようなものなのかについて意識的に知ろうとしていないと思います。
ほとんどの方は、写真をとって綺麗だなって思って終わりではないでしょうか。
これが、脳の仕組みです。
脳は膨大な情報を一瞬一瞬で処理しているために、意識的になにかを知ろうとしなければ、簡単な情報だけしか入手できません。
つまり、見えているものすべてを取り入れているわけではないということです。
桜について知ろうとするならば、実際に咲いている場所に行き、落ちている花びらに触れてみるとかを意識的にしないと、情報としてインプットできません。
だから体験することと経験することというのは大事なことです。
そしてそのときに、意識的になるということが大事なことになります。
知らなくても別にかまわない。
そういう考え方もあります。実際にはすべての事物に触れることはできませんから。それでも表現者を志すあなたにとって、その表現をより深めていくためには、体験と経験はとても意義のある、大きなものになります。
たかが桜、さりとて桜なのです。
なんとなくピンク色の桜の木のイメージの人の桜という言葉と、自分にとっての具体的なイメージのある人の桜という言葉には、きっと大きな差がでてくるのが表現というものです。
また、人は思い入れのあるものを言葉として発するときには、その思い入れのある想いをその言葉に込めてしまうものです。
これが、すでに表現そのものであると言えます。
ただ漠然とその場にいるのではなく、意識的にその場でなにをするのか、がとても重要なことになります。
表現というと「どのように言えば良いのか」と考えがちですが、そのものに対する想いや情報をしっかりと思い浮かべるだけでもその人の表現になります。つまり、どのように言えば良いのかは、思い浮かべた後の話になるということですね。
あなたにとってのお父さんやお母さん、兄弟などは、あなたにとっての血縁者であって、例えば弟と仲が悪ければ、弟の話をするときにはその仲の悪さというのは相手に情報として伝わります。
それは表現として意識して仲が悪いことを強調しなくても、相手に伝わるわけです。なぜかといえば、弟の話をするときには弟に対する不満や思いが溢れるからですね。つまり、どのように言えば良いのかなんてことは考えていなくても、表現できてしまう。伝わってしまう。
ということは、なにかを表現するときには、その表現のもとになるものを身近に感じられるような準備をしたら、あなたにとってのそのモノは、あなた自身の思いのあるモノとして表現につながるということです。
つまり、体験と経験は表現につながるということになります。
だから、意識的にいろいろなものに触れてみる、体験・経験するということを意識的に行うようにしてみてください。
それだけで、あなたの表現は変わります。
情報としてのモノと、体験・経験としてのモノの表現はおのずと変わるものなのです。
昔の人は面白い言葉を残しています。
「宵越しの金は持たない」という言葉です。
これは芸ごとの世界での言葉ですが、お金遣いが荒いという意味ではないそうですね。稼いだお金はふだんやらないことを経験するために使うものであって、その経験をするために稼いだそばから使ってしまうので、その日に使い終わるという意味だそうです。
だから昔の芸人さんは、稼ぎが入るそばからふだんやれない遊び、昔だからお座敷遊びだとかでしょうか。芸の肥やしとしての体験・経験のためにお金を使うことで、さらに芸の深みを追及していたということです。そしてその体験・経験を仕事に活かしてさらに稼ぐ、そういう好循環のためのお金の使い方を心掛けていたのではないかと思うのです。そんなことができるのは、あくまでも理想ですが。
私は、声の仕事というものは日常の延長線上にあるものだと思っています。
だからふだんの生活で得られるものをそのまま活かすことのできる仕事だと思っていますし、逆にふだんしないことはなかなかできないものだと思っています。
そうであるならば、日常をどのように過ごすのか。一日中ゲームをしていたりアニメを見て過ごすことを否定はしたくありません。それでも、外に出て、人と関わり自然と触れ合うこと、ふだんやらないことを合法的な範囲内で経験するために、時間とお金を使う意識を持って日常生活を送ることができたら、それはあなたにとってとても意義のあることになるのではないかと思うのです。
最後までお読みいただきありがとうございました。