ここでは、ナレーターのプロ意識について考えてみましょう。
日本語を使える者として、ナレーターのプロ意識とはなんでしょうか。
きれいに喋ることができるとか、滑舌がちゃんとしてることとか、想いを伝えることができることとかいろいろとでてくるかもしれません。お金を稼げているからプロなのでしょうか?
プロとアマチュアの違いはひとつにお金を稼ぐことができることというのがあります。
でも、それだけでプロと言っていいのでしょうか?

プロとはなにか、というと「その仕事でお金を稼げること」は当然ですが、「その分野のスペシャリストであること」が挙げられると思います。
・その仕事でお金を稼げること
・その分野のスペシャリストであること
では、その分野のスペシャリストであることとは具体的にどういうことでしょうか。
日本語は、基本的に日本語圏にいる方であればほぼみんな使えます。
ということは、スペシャリストであることをどのように証明すればよいのか。
まず言葉の意味は知っていたほうが良いですね。アクセント辞典というものがある以上、その正確な理解も必要だと思います。
そして収録にあたっての、しっかりと音を出すための発声や滑舌、そしてマイクの使い方についても慣れておきたいところです。
それだけでよいのか?
個人的には、「日本語という言語に対する理解」が必要だと思います。
言語学者になれということではありません。ただ、日本語とはどのような言語で、どのような特徴を持つ言語なのか。正しい言葉遣いに対する理解、そういったものがナレーターとしてのプロ意識だと考えます。
テレビのアナウンサーも昔と比べるとずいぶんレベルが下がったように思えます。
言葉を知らない、正しんアクセントで喋れないなど、アナウンサーがタレント化してしまったことが原因だとは思うのですが、公共の電波を使った発信というものの影響力をどの程度認識しているのでしょうか。
間違った言葉遣いやアクセントで放送が行われると、それが正しいものとして認識されてしまいます。時代によって言語は変化するものですが、数年前に大幅な改訂の行われたNHKアクセント辞典の登場は、業界内で「NHKのアナウンサー教育ができていないから大幅なアクセントの変更が行われたのではないか」と言う方さえいました。その真偽はおいておくとしても、言語というものが大きく変化していることは事実です。
正しい日本語がベースとなって、言語が変化することは正常ですが、間違った日本語がまかり通って言語が変化することは異常です。そういうものだと言われればそうなのかもしれませんが、言語の破壊は文化の破壊、大きな視点で言えば侵略の始まりとも言えます。
こんな風に考えることは、果たして大げさなことでしょうか?
正しい日本語の理解、それがみんなの使える日本語話者として、それでお金をいただくナレーターのプロ意識と言えるのではないかと私は思うのです。
専門性を持つということは、そういうことだと思うのです。
難しいことを言っていると思うかもしれません。
でも、日本人として日本語が扱える場所にいながら、お金を稼げる専門性とはそういうものだと思います。正しい日本語を扱える、深い日本語への理解、それらがあって専門性を持ったプロとしてお金をいただく、それがプロとしてのナレーターであるべきですし、それがナレーターとしてのプロ意識だと思います。
ただお金を稼げる、人気がある、それだけでプロとして仕事をすることを否定はしたくありませんが、日本語話者としてのプロ意識として、正しい日本語を扱えるという深い日本語理解も持ち合わせてほしいものです。
よくわからないプロ意識がはびこる現代だからこそ、一度原点にもどって本物のプロを育成し広めていくことが業界の責任だと思うので、少し厳しい内容で書いてみました。
最終的には本人の意識次第ですから、業界にいる方、これから業界を目指す方には少しでも意識してほしいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。